なでがたな学び

大学生の、読書やプログラミングを中心とした雑記です。

生命の「複製の不変性」と、エントロピー増大の法則|ジャック・モノー『偶然と必然』


はじめに

いま、ホフスタッターの『ゲーデルエッシャー、バッハ 〜あるいは不思議の環〜』という本と格闘している。名前のとおり、ゲーデルエッシャー・バッハの三者を絡めつつ、彼らに共通する「不思議の環」という自己言及構造について書かれた本だ。最高に刺激的で、読み進めれば進めるほど、自分の読書体験がねじ曲げられていていく。


しかしなんとも難しく、予備知識がないと理解できない部分が大量にある。そうした中で、重要な参考文献としてジャック・モノーの『偶然と必然』をあげていたので、あの本をより理解するためにも読んでみることにした。

一応、『ゲーデルエッシャー、バッハ』より参考文献の欄より、『偶然と必然』に関する補足を引用する。

生命がいかに非生命から構成されたか、進化が熱力学の第二法則を破っているように見えながら、実際にはいかにそれに依存しているかを、豊かな精神の持ち主が特異な仕方で述べる。私は深い感銘を受けた。


ジャック・モノーは、フランスの分子生物学者だ。1965年に、フランソワ・ジャコブとアンドレ・ルボフとともに3人で「酵素とウイルスの合成の遺伝子制御の研究」でノーベル医学生理学賞も受賞している。

著者は、本書で「現代生物学の概念そのものより、結局はその形であり、またそれらの概念と他の思想の領域とのあいだの論理的な関係を明らかにする」と述べている。実際、宗教的な見方や唯物論的な見方による生命感を徹底して批判するなどして、生物学の枠を超え、当時の思想界にも大きな影響をもたらした(らしい)。

実際、宗教的な見方や唯物論的な見方をことあるごとに取り出しては排斥している。特に本書後半ではそれらの見方の対案として「知識の倫理」という考え方を提案しており、それによってこの本を有名なものにしている。 しかしぼくの目的は『ゲーデルエッシャー、バッハ』の理解であるから、そちらに関しては割愛する。


生命を生命たらしめる基準とは

本書は、「生命を生命だと判断する基準は何になるか?」という問いから出発する。私たちが、地球上にいる生命とその他のものを比べて、「これが生命かどうか」を判断するのは簡単だ。しかし、地球外生命体がいるとして、彼らが地球上の生命を正確に判断できるのだろうか。または、彼らが生命を正確に判断するための「基準」はどのようなものになるだろうか?

著者は、この問いに対して「合目的性」と「複製の不変性」という基準を用意する。これは、何かしらの目的を持って存在していることと、ほぼ正確に自分(個体)を複製することである。

この基準は妥当なものにように思う。ほとんどの人はこの基準に対して反対しないのではないだろうか。実際、動物は、種を増やすための生存本能や生殖本能を持ち合わせる。 しかし、時代や論者によっては異なる生命観を持っている。例えば、ダーウィン以前は、人間は神につくられた被造物であり、またその他生命とは一線を画する選ばれた存在であるとしていたし、ダーウィン以後でも、人間を生命の進化の到着点であり最も優れた存在であると考える場合や、人間は自然淘汰によって偶然生じたにすぎず、動物など他の生命体とほとんど同じだと考える場合がある。

著者は、このような生命観の違いは、先ほどあげた基準、「合目的性」と「複製の不変性」のどちらが因果的・時間的に先行しているかという、優先関係に対する考え方の違いに他ならないと指摘する。

つまり、(著者が排斥する)唯物論的な生命観は、「合目的性」が優先であるという考えに他ならない。そして著者は、(排斥してることからもわかるとおり)後者の「複製の不変性」が優先、第一義であると述べる。


マクスウェルの魔物

マクスウェルの魔物(Maxwell's demon)とは、物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが考えた仮想的な思考実験で想定される架空の存在のことである。

ある気体のはいった二つの箱AとBをつなぐ出入り口で魔物が見張り番をしていて、その《魔物》は、分子を識別する「認識能力」を持ち、素早い分子のみをAからBへ、遅い分子のみをBからAに通り抜けさせるように扉を開け閉めできると想定する。すると、エネルギーを消費することなしに、Aの温度を下げ、Bの温度を上げれるのではないか。そしてこれは熱力学第二法則エントロピー増大の法則)に矛盾するのではないか。マクスウェルはこのように考えた。


そして、生命体においても、このような《魔物》がひそんでいるように見える挙動が行われている。例えば、DNAは、アデニンとチミン(A-T)、グアニンとシトシン(G-C)という決まった塩基対を形成する。アデニンをとりあげてみると、アデニンは4種類の中からチミンを正確に識別していることがわかる。ではどうやって?

この識別能力は、タンパク質が、他の分子との結合によって「立体的特異性」をもつ複合体を形成する能力をもつことに支えられる。比喩をつかえば、鍵と鍵穴の対応のようなものだ。鍵穴は、その立体的構造から、対応する鍵を決定している。

そしてこの《魔物》は、生命という高度な化学機械の活動を一定の方向に導き、首尾一貫した機能をもたらす。つまり、ある生物の合目的的な働きや構造はすべて、それがいかなるものであれ、原則として、一個、数個、あるいは非常に多数のタンパク質の立体特異的な相互作用に基づくものである、と著者は主張する。

さらにいえば、任意のタンパク質がその対になるものを識別する能力は、タンパク質の一次元の配列順序のみに規定され、その配列順序はDNAに記されている。言い換えれば、DNAにタンパク質の配列順序を記すだけで、化学機械の活動を操作することができるということだ。(非常に単純化してはいるが)

したがって、DNAという正確な自己複製子、つまり「複製の不変性」の特性によって、合目的性の特性が出現していることがわかる。


エントロピー増大の法則

物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、生命は、エントロピー増大の法則(無秩序へ向かうという法則)に反して秩序を維持していると述べ、そうできるのは「負のエントロピー」を食べているからだ、と言った。

負のエントロピーの概念にあるように、エントロピー増大の法則に矛盾した性格は、生命がもつ基本的な性格であるようにみえ、科学者たちはそれがなぜそうなるかを解明するため努力してきた。生物の進化も同様である。生物は、無秩序への方向を逆走し、より高度な秩序を獲得してきた。

しかし、そもそも、本当に生命は、生物の進化はエントロピー増大の法則に矛盾しているのだろうか?

再度、マクスウェルの魔物を取り上げてみると、この実験は、「エントロピー増大の法則とは矛盾しない」として解明された。魔物が認識能力を行使するとき、必然的に一定量のエネルギーの消費を伴うが、作用全体の帳尻をみると、系全体のエントロピー減少で埋め合わされていることを、証明した。

つまり、生命の秩序の創造も、周辺の化学ポテンシャルの消費という代償を払ってつくり出しているため、系全体でみるとエントロピー増大の法則には矛盾しないのである。

とくに、生物の「進化」はむしろ、エントロピー増大の法則のひとつの表現であるとみなすことができる。なぜなら、生物の進化は「不可逆性」を持つからである。

このことをもう少し補足する。生物の進化は、「突然変異」が必要であり、正確な自己複製だけでは成り立たないことがわかっている。自己複製も、量子力学の影響をうけるために、どうしても常に正確ではありえない。そして、こうした突然変異によって、生物がより多様になり、周辺の自然環境に応じて生存できる個体と、生存できない個体がわかれるという「自然淘汰」が生じることになる。また、こうした淘汰の結果のこった個体は、それ以前(いわゆる祖先)の個体に戻ることはない。

つまり、生物の進化は、時間的に方向を持った不可逆な過程なのである。これは、エントロピー増大の法則の方向と同一である。この時間方向に矛盾する(進まない、もしくは逆方向に進む)のならば、自然淘汰が生じることはなく、従って進化という現象も生じることはない。


おわりに

かなり粗くではあるが、ジャック・モノーの『偶然と必然』をまとめた。


さきほども記載したが、「いかに生命は《秩序》を獲得するのか?」は、生命とは何かを考える上で根本的な問いであるように思う。さらにいえば、その問いの上に、全体が部分の総和以上になっている(=創発している)という全体論的な認識が重なることによって、より謎が深まっているのだろう。

創発現象は、低レベルの素材から、高レベルのシステムを生み出す。極端にいうなら、石が金に変わるような現象なのだ。しかも、どうやって変わるかは、皆目検討もつかない。しかし、石を金に変える研究に没頭した人がいるように、創発現象には強い魅力がある。そしてそれは生命にまつわる話に限らない。

ぼくも、持っている情報が、その総和以上のアウトプットに変換できるような編集力を身につけたいがために、このようにブログを書いている。ただ難しい。というより、自分自身そういっているが、どうなるとそうなるのか、そもそもどういう状況なのか、想像すらできずよくわからない。

そうした中で、本書では、DNAに記載されているタンパク質の配列順序という低レベルの素材から、立体的特異性という特性による識別能力による高度な化学システムが出来上がっていることを示した。これは、創発現象のひとつの例になるのではないだろうか。


やはり、生命や進化を解明しようとする試みは、読んでいておもしろい。ただ、現代の生物学や化学がどうなっているのかを知らないため、この本に記載されていることの正しさを検証できないことが歯がゆく、そもそも基礎知識も浅いため議論についていけないところも結構あった。もう少し知識をつけてから再チャレンジしてみたい。